環境教育
環境問題と環境教育
Relation between environmental education and environmental problems
森 洋介*
Abstract
Based on the data published so far, the history of environmental education of Japan was investigated and it became clear to have been carried out by concerning environmental education deeply with environmental problems. It is important for future environmental education to be carried out in order to attain a clear big target "making sustainable society realize". Therefore, the contents which should deepen understanding by environmental education are "man, natural correlation, and the relation between man and human being."
It being important at the environmental education performed in schools is making it understand that the life of our every day currently passed, without having no question has given very big load to earth environment. From the reason that the domain and theme to treat are wide range, the environmental education in schools did not specify a subject, but has been performed many subjects and in a lesson of specially activity.
In order to leave the earth which does not have a substitute in the following generation, it points out that the environmental education in schools is coming to the time about which it should argue earnestly including utilizing <the time of synthetic study> for how it should carry out effectively.
Key words : Environmental problems
Environmental education
Sustainable society
Big load to earth environment
はじめに
環境問題が深刻化し,複雑・多様化していることが認識され,環境教育の重要性が増大し,環境教育に対する関心も高まっている。しかし,佐藤(1998)が指摘しているように,環境教育の概念は『発生している環境問題や社会に応じて』変化しており,『概念的にあいまいな存在』といわざるを得ない。このことは,中央環境審議会が答申した『これからの環境教育・環境学習―持続可能な社会を目指して―』(1999)の中で,「・・・環境教育・環境学習の理念を改めて問い直し,その方向性を明確に示していくことが求められている」と記述していることからもうかがい知ることができる。学校での環境教育の実践例を見ても同じ問題を抱えており,環境教育を実効性あるものにするためには,何を目的にするのか,方向性を明確に示すべき段階に至っていると考える。
わが国における環境教育の始まりは,第2次世界大戦後の急速な経済成長に伴って発生した公害問題の悲惨さによるものだった。1980年代に入り,地球温暖化をはじめとした地球規模の環境問題が明らかになり,世界各国が協調して問題解決に取り組むことの必要性と,社会経済システムや一人ひとりのライフスタイルを環境に与える負荷を少なくする方向へと変革することの重要性が認識され,環境教育の果たすべき役割が一層増大した。文部省としても,学習指導要領の改訂のたびに,時代と社会の要請に応じた環境教育の改善・充実を求めてきた。環境教育を担当する優れた指導者養成を目指した,環境教育担当教員に対する講習会の開催,教員養成大学に対する環境教育に配慮したカリキュラムの義務付け,いくつかの国立教員養成大学には,新しい時代に対応した環境教育の創出を目指した,環境教育を実践・研究することを目的とした施設・センタ−の設置など,時代や社会のニーズに対応して,「環境教育」を充実させるために必要な措置を講じてきた。それにもかかわらず,学校で実践されている環境教育・環境学習が実効あるものになっているのか,疑問視せざるを得ない現状である。学校現場で担当している教員も,自己反省も含めて,環境教育は多くの矛盾を含んだまま試行されていることを報告している(地主,2000)。
環境庁をはじめとした他の省庁や,地方公共団体,民間団体等も環境教育に関するシンポジウムを開催してきたし,フィールド・スクールやグローブ・プログラムなど,新しい計画も実施されており,生涯教育としての環境教育・環境学習も実行されているのです(財団法人地球環境戦略研究機関,2001;財団法人キープ協会・環境教育事業部,2001)。
教員養成大学に所属し,地球規模の環境問題と関係する大気物理学を研究対象にしてきた一人として,学校における環境教育が実効あるものになることに期待を込めて,どこに問題があるのか整理してみた。
T これまでの環境教育の流れ
政府刊行物や各種審議会の答申資料,民間出版物,インターネット上の情報を基に,これまでの環境教育の大きな流れを,<わが国と関わりの深い環境問題と環境教育の年表>にまとめた。この年表に沿いながら,わが国における環境教育の歴史を追ってみる。
わが国と関わりの深い環境問題と,環境教育の年表
年代 |
関わりの深い環境問題等 |
わが国の環境教育 |
1950〜1960 |
戦後の急速な経済成長に伴い,多くの公害問題が発生した。(四日市喘息,水俣病,イタイイタイ病など) |
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1962 |
近代環境問題の始点といわれている,化学合成殺虫剤の過剰使用による環境破壊問題を提起した,カーソン女史の「沈黙の春(Silent Spring)」が出版された。 |
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1965 年頃 |
公害問題を契機に,環境教育が注目されるようになった。 |
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1967 |
公害対策基本法の制定 |
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1969 |
中学校学習指導要領の改訂で,保健体育科に「公害と健康」が取り入れられた。 |
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1971 |
環境庁発足 |
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1972 |
環境問題全般についての国際会議「国連人間環境会議」開催。『人間環境宣言』と『国連国際行動計画』が採択され,その後の世界の環境政策の基本的指針となった。 |
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1974 |
国立公害研究所発足 |
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1977 |
中学校学習指導要領の改訂で,社会科に「公害の防止など環境の保全」,理科に「人間と自然」,保健体育科に「健康と環境」が取り入れられた。 |
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1978 |
高等学校学習指導要領の改訂。現代社会に「人類と環境」,理科Tに「人間と自然」,保健体育に「健康と環境」が取り入れられた。 |
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1985 |
オゾン層保護のための,ウイーン条約が成文化された。 |
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1987 |
オゾン層保護のための,モントリオール議定書が成文化された。 |
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1989 |
小学校,中学校および高等学校学習指導要領の改訂。多くの教科と,道徳,特別活動の中で,環境教育にかかわる内容が重要視される。小学校低学年に,環境教育にかかわる「生活科」が新設された。 |
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1991 |
環境教育指導資料(中学校・高等学校編)が出版された。 |
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1992 |
地球サミットと呼ばれている,「環境と開発に関する国連会議」が開催。『リオデジャネイロ宣言』,『アジェンダ21』,『森林原則声明』が採択,『気候変動枠組み条約』と『生物多様性条約』が調印された。 |
環境教育指導資料(小学校編)が出版された。 |
1993 |
環境基本法の制定 |
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1995 |
気候変動枠組み条約『第1回締約国会議』が開催された。 |
環境教育指導資料(事例編)が出版された。 |
1996 |
中央教育審議会『21世紀を展望したわが国の教育の在り方について(第1次答申)』で,環境教育がますます重要になることを認識し,一層の改善・充実の必要性を指摘した。 |
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1997 |
気候変動枠組み条約『第3回締約国会議』が開催され,二酸化炭素の具体的な削減目標数値を示した『京都議定書』を採択した。 |
『環境と社会に関する国際会議−持続可能性のための教育とパブリック・アウエアネス』が開催され,採択された「テサロニキ宣言」の中で,<環境教育を『環境と持続可能性のための教育』と表現してかまわない>ことを明言した。 |
1998 |
地球温暖化対策推進本部が『地球温暖化対策推進大綱』を決定。国民のライフスタイルの見直しが地球温暖化対策の重要な柱の1つであることを指摘した。 |
中央環境審議会企画政策部会・環境教育小委員会が『持続可能な経済社会構築を目指した環境教育・環境学習の推進方策について』の中間答申を行った。 |
1998 |
教育課程審議会答申でも,環境問題への対応の重要性を指摘し,各教科,道徳,特別活動,『総合的な学習の時間』で,環境教育・環境学習を一層充実させる必要性を強調した。 |
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1999 |
中央環境審議会が,「環境教育・環境学習は持続可能な社会の実現を目指して行うものである」との認識のもと,『これからの環境教育・環境学習−持続可能な社会を目指して−』を答申した。 |
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2000 |
『地球科学技術における今後の重点化すべき研究課題について−地球環境問題の解決に向けて−(中間報告)』で,『人間活動によって本来の自然界の形態を損なう現象の解明と,これらの現象を最小限にとどめる技術対策等』が一層強く求められていることを指摘した。 |
(1)環境教育の始まり
環境問題が発生するようになったのは,1950〜60年代の先進国を中心とした急速な経済成長以降であるが,近代環境問題の始点は,海洋生物学者で詩人でもあったカ−ソン女史が,「沈黙の春(Silent Spring)」を出版した1962年だといわれている(不破,1994)。新しく合成された殺虫剤は,戦後の大きな社会問題となっていたシラミやダニの害から人間を救い,農産物を害虫から守ったが,過剰散布が続いた結果,他の益虫や,鳥・魚まで死滅させてしまったのです。このことを深刻に受け止めたカーソン女史が,殺虫剤の使用禁止を訴え,目に見えぬかたちで進行する環境汚染に警鐘を鳴らしたのです。
わが国の環境教育は,戦後の目覚しい経済復興に伴って発生した「四日市喘息」,「水俣病」,「イタイイタイ病」などの「公害病」の発生が契機となって始まった。1969年に改定された中学校学習指導要領で,保健体育の中で「公害と健康」を取り上げた授業が行われることになったのです。
1972年6月には,環境問題全般について議論する国際会議「国連人間環境会議」がスウェ−デンのストックホルムで開催され,先進国を中心に経済成長に伴って発生した「公害問題」と,開発途上国の貧困と密接に関連して発生した「環境衛生問題」が主要テ−マとして討議され,『かけがえのない地球(Only One Earth)』を合い言葉に,『人間環境宣言』と『国連国際行動計画』が採択され,世界の環境政策の基本方針が示されることになった。その中で, 環境問題が人類の生存にかかわる世界共通の課題であることが確認され,「自己を取り巻く環境を自己のできる範囲内で管理し,規制する行動を一歩ずつ確実にすることのできる人間を育成する」ことを目標にした,「環境教育」の重要性が明記されたのです。
わが国でも, 1971年には環境庁が,1974年には国立公害研究所が発足することになった。発生している環境問題を正しく認識し,対処できる組織と,研究体制が整備されることになったのです。このような時代背景を受けて,1977年に改定された中学校学習指導要領では,社会科,理科,保健体育の3教科で環境教育・環境学習の内容が扱われることになり,1978年に改定された高等学校学習指導要領では,現代社会と理科Tで環境教育・環境学習の内容が扱われることになった。当時の環境問題の多くは,深刻な被害が発生した「公害問題」と「環境の保全」が中心であり,環境教育・環境学習でも,具体的な「公害問題」や「生態系に及ぼしている具体的な被害や,環境破壊の実例」が教材として扱われており,教える側も教えられる側もわかりやすく,一定の成果を上げることができたといえる。
(2)環境問題の質的変化が環境教育を変えた
1980年代半ばに,「地球温暖化」,「オゾン層の破壊」,「砂漠化・土壌の流出」,「酸性雨」,「熱帯雨林の減少」といった,新しい形の環境問題が発生していることが明らかになってきた。研究が進むにつれ,「地球温暖化」,「オゾン層の破壊」,「酸性雨」の問題は,先進国の高度成長や技術革新と連動して発生した問題であり,「砂漠化・土壌の流出」,「熱帯雨林の減少」は発展途上国の人口増加と密接に関係した問題であること,しかも近い将来に地球規模で被害が発生することが予想される,これまで経験したことのない環境問題だということが明らかになったのです。しかも,私たちが意識することなく続けているライフスタイルそのものが原因となっており,人類の生存基盤そのものに関わる環境問題であることも明らかになったのです。
オゾン層保護のための『ウィーン条約』や『モントリオール議定書』が成文化され,オゾン層破壊物質の使用制限が始まり,地球温暖化を緩和するための世界的協議も開始された。わが国でも, 1989年に『地球環境保全に関する関係閣僚会議』を設置し,関係省庁が相互に緊密な連係を図って,地球環境保全のための施策を推進することを確認することになった。
文部省は,1989年の小学校,中学校,高等学校の学習指導要領の改訂で,それまで教科の中で行われていた環境教育の指導内容を一層充実させると共に,道徳や特別活動でも環境教育・環境学習を扱うことにした。さらに,新しい時代に対応した環境教育の推進に資することを目的とした環境教育指導資料(中学校・高等学校編,1991年3月,小学校編1992年3月)を出版し,それぞれの学校における環境教育の意義と役割,新学習指導要領における環境教育にかかわる内容を解説し,参考となる指導の実践例を示した。
(3)地球サミット後の環境教育
地球規模の環境問題の本質が見えはじめた,1992年6月,ブラジルのリオデジャネイロで『環境と開発に関する国連会議』が開催された。<地球サミット>と呼ばれているもので,世界の166ヵ国,6地域,17国連機関,33政府機関などが参加し,<国際社会が開発を行う過程で生じた環境問題に正しく対処する戦略,あるいは処方箋>について協議され,「リオデジャネイロ宣言」の採択,「気候変動枠組み条約」と「生物多様性条約」の調印,「アジェンダ21」と「森林原則声明」が採択され,世界各国が協力して地球規模の環境問題に取り組むことが約束された。
日本でも1993年11月に「環境基本法」を公布・施行し,その中で環境教育の必要性について,初めて条文化したのです。
「環境基本法」 第二章 環境の保全に関する基本的施策 (環境の保全に関する教育,学習等) 第二十五条 「国は,環境の保全に関する教育及び学習の振興並びに環境の保全に関する公報活動の充実により事業者及び国民が環境の保全についての理解を深めるとともにこれらの者の環境の保全に関する活動を行う意欲が増進するようにするため,必要な措置を講ずるものとする」 |
1994年12月には「環境基本法」に基づく,「環境基本計画」が制定され,環境問題解決と環境教育のキ―ワ―ドとして, 「循環と共生」,「持続的成長可能」がうたわれることになった。
環境教育の必要性が環境基本法に条文化されたのを受けて,文部省は1995年3月に,環境教育指導資料(事例編)をあらためて出版し,学校で行う環境教育の一層の充実を図った。環境教育の目的と基本的な考え方については,以前に出版した「環境教育指導資料(小学校編),(中学校・高等学校編)」をそのまま踏襲し,第3章に「環境教育を進めるにあたっての諸基盤」,「1 教育委員会における環境教育の施策」,「2 豊かな学校環境づくり」を追加し,学校内の教育に加えて,教育委員会をはじめ,学校外の人たちが側面から支援することの重要性を明示した。
1996年7月には,中央教育審議会が『21世紀を展望したわが国の教育のあり方について(第1次答申)』を公表しているが,第3部『国際化,情報化,科学技術の発展等社会の変化に対応する教育のあり方』の,第5章『環境問題と教育』の中で,「現在の環境教育は歴史も浅く,実践の経験も十分でない」ことを反省し,環境教育がますます重要性を増していくとの認識のもとに,「ほかの学校における取り組みや,さまざまな機関,団体,地域などでの実践例を踏まえ,学校や地域の特色を活かした具体的な取り組みが積極的に進められる」ように改善・充実させることを提言している。
U 持続可能な社会を目指した環境教育
(1)環境問題とは何かを問い直す
現在の環境問題の発生原因は,先進国を中心とした社会経済活動の拡大と,発展途上国の人口増加であることは明白です。私たち人類が,地球環境に無意識のうちに与えてきた負荷が,地球環境の備えている復元力を超えてしまうほどの大きさに達したために,地球環境が破壊されようとしている問題です。例えば,「地球温暖化」は,人間活動による石油や石炭などの化石燃料の大量消費によって,一定の均衡を保っていた空気中の二酸化炭素量が,これまで経験したこともないスピードで増加し続けている問題です。また,「オゾン層の破壊」は,これまで空気中に放出したフロンが蓄積し,南極上空のオゾン層を破壊する量まで増加してしまった問題です。人間に具体的な被害が及んでいるという報告はありませんが,私たちがこのままのライフスタイルを続けると,近い将来,人間を含めた全ての生態系に取り返しのつかない影響を及ぼすことは明白だといわれているのです。人間が空気中の二酸化炭素の量を変え,人間が使用したフロンが成層圏の空気を破壊してしまうなど,誰も予想できる事ではなかったし,これから先,地球で何が起こるのか,だれも予測できないというのが本当でしょう。
空気中に存在している二酸化炭素の量は,現在は約0.00034気圧ですが,地球誕生時には100気圧近くあったと考えられているのです。地球誕生以来46億年の時間をかけて,海と大陸と生物との共同作業で,空気中に存在していた二酸化炭素の大部分を海底や地下へと移動させてきたのです。私たち人間が石油や石炭などを大量に消費することは,沢山の生物が長い時間をかけて地下に埋蔵してきた二酸化炭素を,短時間に空気中に戻していることなのです。
オゾン層を破壊しているフロンは,地球には存在していなかった,人間がつくりだした新しい物質です。『燃えない』,『溶けない』,夢のような物質で,冷蔵庫やエアコンの驚異的な発達をもたらし,熱帯地方に超高層ビルが林立する大都市の出現を可能にしたのもフロンだといわれているほどです。無味無臭,無毒で不燃性のガスであり,用途も拡がる一方で,消費量が急増したのです。一時は,自動車はエアコンにはじまり,室内・外,いたるところフロンだらけといわれたほどです。『燃えない』『溶けない』というフロンの優れた特性が『あだ』になって,放出されたフロンは,空気中に蓄積し,オゾン層を破壊する悪役になってしまったのです。
地球環境破壊の元凶である,石油や石炭を大量に消費し,空気中に大量の二酸化炭素を放出したのも,大量のフロンを大気中に放出したのも,わが国をはじめとした北半球の中緯度に位置している先進国に住んでいる一人ひとりです。問題を解決するためには,現在の経済社会システムや一人ひとりのライフスタイルを,地球に負荷をかけないものへと変革することが必要なのです。将来の世代にかけがえのない地球環境を残すために,今を生きている私たちが,すべての生命が安全に生活できる地球環境を取り戻す責任があることを忘れてはならないし,このことを学ぶことこそが矧ツ境教育狽セと思います。
(2)環境教育指導資料の問題点
現在,小・中・高等学校で行われている環境教育の多くは,担当している教師一人ひとりが目標を設定し,工夫した授業を展開しているといってよい。しかも,扱っている内容が広範囲にわたっていることもあり,環境教育が何を目指しているのか,共通項が見えてこない。原因は,環境教育指導資料(中学校・高等学校編,1991;小学校編,1992)で示した環境教育の目的のあいまいさにあると思われる。第1章『学校教育における環境教育(総論編)』で,環境という言葉には,『@生物や人間のまわりの一切の事物』,と,『A生物や人間の生活に関与する諸条件』の2つの意味があるが,環境教育で扱う『環境』は,『A生物や人間の生活に関与する諸条件』という限定した意味であるとしながらも,『ただし,学校教育において環境を取り扱う際には,教科等によりおのずと重点のおき方が変わることは当然であろう』と付記しているのです。同じ第1章の『環境教育の目的』では,『環境や環境問題に関心・知識をもち,人間活動と環境とのかかわりについての総合的な理解と認識の上にたって,環境の保全に配慮した望ましい働きかけのできる技能や思考力,判断力を身につけ,よりよい環境の創造活動に主体的に参加し環境への責任ある行動が取れる態度を育成すること』と表現しており,抽象的でよく理解できないのですが,Aの限定した意味の環境とは読めません。さらに,第2章の『学校教育における環境教育』で説明された内容や,第3章で示されている実践事例の多くも,限定しない@の広い意味での環境教育となっているといわざるを得ません。
学習指導要領が改訂されたすぐ後で,地球温暖化,オゾン層破壊,熱帯雨林の減少などの地球規模の環境問題が明らかになったため,環境教育の目的を,『より広く地球規模の環境問題にも対処できるようにする』必要が生じたために,環境教育指導資料(中学校・高等学校編,小学校編)を出版したのだと考えれば,環境教育の目的を明確にできず,抽象的な表現にならざるを得なかったと納得できる。
しかし,地球規模の環境問題についての学問的解明も進み,<地球サミット>の開催,『環境基本法』や『環境基本計画』の制定を受けて出版されたのが,環境教育指導資料(事例編)であることを考えると,第1章 『学校教育における環境教育(総論編)』の内容のほとんど全部が,以前に出版された環境教育指導資料(中学校・高等学校編,小学校編)をそのまま踏襲しているのは理解できない。環境教育のキーワードとして,『循環と共生』,『持続的成長可能』がうたわれており,環境教育で考えるべき『環境』は『A生物や人間の生活に関与する諸条件』と限定すべきだったはずです。1996年に,中央教育審議会が『21世紀を展望したわが国の教育のあり方について(第1次答申)』で,環境教育がますます重要になってくることを認識し,一層の改善・充実の必要性を指摘しているし,1998年の教育課程審議会答申でも,環境教育・環境学習を一層充実させることが必要であると強調しているのですが,『持続可能な社会を目指して』という表現は見られるが,学校で行うべき環境教育の目的について言及するにはいたっていません。その後も,文部省からは学校教育で参考になる環境教育に関する指導資料の出版は皆無であり,環境教育の目的は現在も『あいまいなまま』になっているといわざるを得ないのです。
(3)これからの環境教育・環境学習
1997年にギリシャ政府とUNESCOによって開催された,『環境と社会に関する国際会議―持続可能性のための教育とパブリック・アウェアネス』において『テサロニキ宣言』が採択された。その宣言の中で,「環境教育を『環境と持続可能性のための教育』と表現してもかまわない」ことが明確にされ,環境教育は『地球的規模で持続可能な社会を実現するための教育』であるとする考えが主流を占めることになった。
わが国でも, 1998年に中央環境審議会企画制作部会・環境教育小委員会は,『持続可能な経済社会構築を目指した環境教育・環境学習の推進方策について』の中間答申を行った。今日の環境問題を解決するためには,経済システムや国民一人ひとりのライフスタイルを,環境への負荷の少ないものへと変革していくことが必要であることを認識したのです。この答申を踏まえて,中央環境審議会は,1999年,環境庁長官に対して『これからの環境教育・環境学習―持続可能な社会を目指して―』を答申し,わが国で行う環境教育・環境学習も,持続可能な社会の実現を目指すためのものであることを明言したのです。その中で,『これまでも実践されてきたように,環境教育・環境学習で扱う領域,テーマは広範囲で,多様であり,入り口は広く開かれていても,「目指すところは持続可能な社会の実現という大目標である」ことを認識し,現在の活動が「大目標のどの段階にあり,具体的に何を目指しているのかを明らかにしておく」』ことの重要性を強調しているのです。そのためには,「人間と自然とのかかわりに関するものと,人間と人間とのかかわりに関するもの」について,国民一人ひとりが理解を深めるべきであると指摘しているのです。学校で行われる環境教育・環境学習も,目指す方向は同じはずです。
おわりに
環境教育の大きな流れを追ってきたが,学校で行われるこれからの環境教育は,1999年に中央環境審議会が環境庁長官に答申した方向に沿って行われるべきだと考えます。環境教育は,特定の教科を設けず,多くの教科や特別活動を通して行うことが大切であるとの考えから,関連する授業内容に応じて取り上げることはかまわないが,学校の環境教育が目指すべきところも『持続可能な社会の実現という大目標』であり,環境教育で理解を深めるべき内容は『人間と自然とのかかわりに関することと,人間と人間とのかかわりに関するもの』であることを明確にすることが必要です。何の疑問もなく生活している私たちの毎日の積み重ねが,地球環境にとっては大きな負担になってしまっているということを,教材を工夫して学校教育の中で理解させることが,環境教育の第一歩だと思います。環境教育は総合学習そのものであり,<総合的な学習の時間>を有効に活用することも含め,学校における環境教育のあり方を真剣に議論すべき時です。
地球科学の学問分野でも,従来は地圏,気圏,磁気圏,水圏および生物圏内で起こっている現象や,相互に関連して発生している現象を,自然科学的手法で解明することが研究の中心だったのです。地球規模の環境問題の研究が進み,人間活動が地球環境に影響を及ぼしていることが顕在化したことを受けて,地球科学の研究分野に,新しく『人間圏』が設けられ,『人間の文化の問題』,『人間と自然系の相互作用環』の解明等を目指した,総合科学としての研究も始まっているのです。
2000年には,地球科学分野に関する検討会が『地球科学技術における今後の重点化すべき研究課題について―地球環境問題の解決に向けて―(中間報告)』で総合科学としての研究の重要性を指摘しているし,
2001年には文部科学省が人間圏の研究を意識した,『総合地球環境学研究所』を新設しているのです。この研究所を開設する契機になったのは,<地球温暖化>や<オゾン層の破壊>で明らかになってきた,人間活動による地球規模での環境破壊です。これまでの個々の学問領域には囚われない,新しい視点から,地球環境問題を総合的に研究することの必要性を痛感して発想されたものです。学校における教育も,新しい時代にふさわしいものへと変わるべき時期に来ていると考えます。
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